【2018年5月30日】今年1月、東京駅構内に金ぴかの「義理チョコショップ」がオープンし、バレンタインデーまで、多くの人が訪れ大きな話題となった。
このショップを展開したのがあの黒い稲妻「ブラックサンダー」で知られる有楽製菓だ。
今回は世界的なチョコレートブランドとの「義理チョコ論争」まで起こり、ネットをざわつかせた同社。その躍進ぶりは、お菓子業界を超えて注目される存在になっている。
今回は同社マーケティング部の山﨑美沙主任に、実は発売当時はくすぶっていた「ブラックサンダー」の変遷と、今と今後の商品プロモーションの展開について聞いた。
――なんといっても有楽製菓と言えば「ブラックサンダー」ですが、開発の経緯を教えてください
当社には「チョコナッツスリー」というチョコにナッツを入れた比較的軽めの食感の商品がありました。この「軽めの食感」とは反対の「重ため」「ずっしり」という食感の商品を考えてできたのが「ブラックサンダー」です。
中身はココアクッキーとプレーンビスケット。
この黒いココアクッキーが「ブラックサンダー」の名前の由来になっています。
発売は1994年、当時20代の社員が開発を担当しました。
――当時はなぜか人気が出なかったとか
売れ行きはイマイチで、なんと1年後には一度終売してしまいました。
ところが「九州はなぜか売れて、ファンがついている」という報告があり、営業担当から「なんとか残してほしい」という要望が強く出ていたのです。
当社の経営陣は「そんなに強く推すなら、包装資材が残っている分だけ売ってよい」という判断を下しました。
――そんな感じで一度は見限られた「ブラックサンダー」ですが、販売を終了しませんでしたね
がんばって売り続けた結果、当時、大学生協で徐々に売上を伸ばしていました。その評判から、大手コンビニへの導入が決まり、他の小売店もこの様子を見ていただき、じわじわと採用を広げていきました。
――大きく変わるきっかけは
2006年、当時人気を集めていた「生協の白石さん」のブログで取り上げられたことで、ネット利用者を中心に若者の間で人気を呼びました。
さらに人気が加速したのは2008年の北京五輪「某体操選手」が「好物」として「ブラックサンダー」を挙げてくれたことで、人気は大爆発しました(笑)。
小さな会社で、工場も小さかったのですが、問い合わせの電話が鳴りっぱなしになって、非常に大変でした。
本当に、あの選手には感謝してもしきれません。
その後、ロンドン五輪でも紹介していただき、その時もものすごい反響がありました。
――海外でも人気という話を聞きました
2011年から輸出を始めたところ、台湾で人気になりました。
台湾では「ブラックサンダー」ではなく、「ビッグサンダー」の方が先に人気に火が付きました。
これも台湾の有名人が好きなものとして「ビッグサンダー」を紹介してくれたことがきっかけで、今度は中国語の電話が毎日ひっきりなしに来るようになりました(笑)。
この時は台湾から爆買いに訪れる人も現れるなど、こちらが驚くほどのブームでした。
2011年にはシリーズで1億3000万本を超える売れ行きとなりました。また「豊橋夢工場」を新設し、大量生産に応えられるようになるなど、新たなステップに入った年でもありました。
――有名な方の発言というのはすごい影響力ですね
ありがたいですね。
商品は自信をもって丁寧に作っていますが、なんといっても1本30円(税抜)の商品。
また、当社の規模ではテレビCMはもちろん、広告・販促費をたくさん使うこともなかなか難しいので、応援していただける方たちには本当に感謝しています。
ここでは名前を上げられませんが(笑)
――若者を中心に人気というイメージですが、当初からターゲットは若い世代ですか
当初、担当者がターゲットにしたのは「戦隊ものが好きなお子様」でした、「ブラックサンダー」という名前も、どこかヒーローものっぽさを持たせたものです。
しかし、実際に多く買っていただいたのは、大学生を中心とした若者で、そこからさまざまな年齢のお客様に認知が広がっていきました。
設定したターゲットとは、ずれてしまいましたが、販売する中でお客様に商品のブランドを作っていただいたと感じています。
以下につづく
【この人に聞きたい!】 「ブラックサンダー」が人気 義理チョコ論争も話題に・後編
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