【2026年10月27日】前回からかなり時間が空いてしまった。その理由はけっこう反響が大きく、それも業界紙記者の先輩諸氏から「読んだよ!」の連絡やお声がけをいただき…正直言って、ちょっとビビってしまったというのがある。まさかそちら方面から反応があるとは思わなかったので、何とな~く書きづらくなっている間に時間がたってしまった。
「そこで」というわけではないが、前回お話に出てきた「記者になる前に勤めていたブラック企業」とそこに入るまでの話をしたい。
前回記事:【連載コラム】業界紙記者 問わず語りの独り言③ 「ハラスメント!それなに?」なノーコンプラ時代
就職氷河期のあの頃
自分が社会に出たのは、就職氷河期のが本格化した1995年。
この年の1月には「阪神・淡路大震災(1月17日)」が発生し、死者6,434人の甚大な被害をもたらした。また3月には 「地下鉄サリン事件(3月20日)」がおこった。この事件では東京の地下鉄で何者かがサリンを散布し、14人が死亡、6,000人超が負傷した。
「阪神・淡路大震災」は、朝のニュースが空撮で阪神高速が倒れている様子を中継していたが「外国で大きな災害が起きたのだな」と思った。
出典:PHOTOPORT 神戸フォトアーカイブ
「地下鉄サリン事件」も、何かのガス漏れだろうと思い、その日はデートに出かけて渋谷で「フォレストガンプ」を観賞、お食事なんかを楽しんで夜遅くまで遊んだ。帰ってきたら、近所に住む叔父が部屋のドアをゴンゴン!玄関を開けると「生きていたか!」と頭をバシッとひっぱたかれた。当時は携帯電話はまだそれほど普及しておらず、家電にかけても連絡の取れない息子の安否確認について叔父が頼まれアパートを訪ねて来たということだった。
2つの出来事は、どれも現実とは思えないような恐ろしいものだったが、これまでの常識が通用しない者でありすぎたためか、当時の自分にははじめピンとこなかった。それほど昭和後期から平成初期までの日本は平和で、大きな災害も少ない時代だったのだ。
出典:法務省アーカイブ
就活事情と就職先
年寄りがして人に嫌われるのは「説教」「自慢」「昔話」と言われているが、その「昔話」の中でも「就職活動の苦労話」は最も嫌われるという。しかしながらここでは記者の就活の話をする。
1994年の日本経済は、バブル崩壊後の深刻な不況の渦中にあり、企業倒産件数は約14,000件、負債総額は5兆6,294億円に達していた。翌年以降に本格化する「大手金融機関の連鎖破綻」の前触れのような、大型倒産があちらこちらで起こった年だった。
そんな中の就活は当然ながら地獄。前年まではまだあった大手企業の採用がほぼなくなり、中小企業も採用枠を大幅に減らすという事態で、大学の同級生の中には「就職浪人で留年する」「とりあえずフリーターしながら仕事探す」という決断をした者もいた。
そこで就職しなかった彼らと数年後に再会すると、「まだフリーター」「派遣で食いつないでいる」という者が多く、中には「あいつは心を病んでニート(当時は引きこもり?)になった」という話まであった。
令和の今、氷河期世代を採用しなかったことでリーダー不足となり、会社経営が危うくなる会社も出ているというから因果応報ではあるのだが…。

幸いというか、適当に選んだ結果というか、自分は4年生になる年の3月くらいに慌てて就職活動を始め、5月末くらいには内定をもらった。
本当は、最初から記者や編集者を志望していたのだが、大手に履歴書を送ってもまったく相手にしてもらえなかった。一方で世間知らずだった自分は、小さな新聞社や雑誌社、編集会社に潜り込むという考えもなかった。おそらく小さな会社の方も、不景気な時に右も左も分からない新卒を採用する余裕などなかっただろう。
入社したのはチョコレート屋が経営する和雑貨を取り扱う会社。ここがとんでもないブラック企業だった…。
つづく
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